ヤルン氷河
タルン通信その8
こんばんは!
タルン通信も今回で好評8回目を迎えることになりました。
9回目をお送りしたころ、帰国の目途もたちましょう。
ということは今回も入れてあと2回だ!!
ふぅー。
中篇の始まり!
18日間のキャラバンを終え ようやくベースキャンプ(BC) を設営した時は、正直言って何でこんなに、苦労せにゃあかんのか?という心境でした。
BC は ヤルン氷河の上になります。ヤルン氷河は 縦24km 横2km の氷河です。
ヨーロッパアルプスやカナダの氷河から想像していたものとは まったく違う氷河に戸惑いを覚えました。
表面はほとんど岩で覆われ、大波小波のように たくさんの 起伏があるのです。
石炭のボタ山ぐらいの岩山が 無数にあるのです。
もう数え切れないほどの岩がごろごろしてるのですヨ。
無論 氷河なのだから 岩や石ころの下は 氷です。
そこに不気味なクレバスが 引っかき傷のごとく口をあけてるのです。
タルンピーク全貌
ベースキャンプ全貌
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この氷河は 動いてるのです。1年間に数メートルカタツムリくらいの速度で...
このヤルン氷河の正面に世界第3位の高峰 カンチェンジュンガ(8598m)、西にジャヌー(7795m) そして東に 目指すタルン峰(7349m)が
聳えているのです。
タルン峰の頂上に降った雪が 凍りついて氷河となって 出口まで移動し 清流となるまで2000年から3000年かかるといわれています。
BC は この氷河の上に作りました。
大きなキッチンテントそれにダイニングテント そして我々が入る、個人用テントが5張。ちょっとしたキャンプ村の誕生です。
ここが今回の登山活動3週間の基点 となるだけに居住性が重視されるわけです。
氷河の上は 寒いおまけに高山で囲まれているので、日照時間が少ない。
午後4時になると暗くなってしまう。
その代り陽が射すと 急に暑くなります。
朝6時ごろ テント内の温度が −5度 だとして陽が射すと 一気に36度にも上がり テントの中に入っていられなくなってしまいます。
そんな温度の急上昇 急降下を繰返しながらの1日はつらいものがありますね...
それに聞こえてくる音は、周囲の山の雪崩の音。
ドーーン ザーーー ドカーーン という感じ。
10分に1回くらいはあるかな?
そして岩が落ちる落石の音は、絶え間ない...
まるでそこは 地球創世記のごとき世界。
高度5000mで生物も棲めない 氷の無機質な 世界・・・
今回の登山は、無酸素でやるため 高度順応が必須条件。
高度5000mで酸素が 低地の約50% 7400mで38%しかないのです。
酸素が少ないと いろいろな症状があらわれます。
頭痛 吐き気 呼吸困難 胃腸障害 ひどくなると急性肺水腫や脳水腫になり、ジ エンド。
これを克服するために、高度を下げたり、停滞したりと苦労するのです。
首尾よく、高度順応に成功したとして(成功しなければ下山するより手はなし)、それでも酸素が足りないということには、かわりはなくて、例えば写真をとろうとして、カメラのシャッターを切る時、ちょっと息を止めたら、その後、数回あえがないと
酸素量がもどらないわけです。
まして雪の急斜面で、呼吸を整えながら ゆっくりゆっくり登っても 一足すべらすと呼吸が乱れ それを取り戻すためには 止まって 10−20回呼吸をしないと
窒息するような かんじになってしまう!
高度が上がるにつれて、1歩登って、立ち止まって1分呼吸するなんてことになってしまいます。考えただけでも息が切れてきちゃう!
こんなことをしてでも.頂上に上りたいって 常人ではないね!
僕もそう思います. 嫌だよこんなの...
おいしい刺身でも食って 温泉に入っていたほうが、数万倍ラクチンでしょう!
僕もラクチンのほうが いいとはっきりわかる大人になったようです。
でも、そう理解できた時は、ピッケルもって アイゼン履いてロープを体につけているのだから TOO LATE でしょうか?
登攀風景
Camp-2 村田隊員
タルンC2 竹内のクライミング
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連日 上のキャンプを 設定するための 荷揚げを 繰り返し C-1 C-2 C-3 に それぞれ テントを設営して、必要な食料と
燃料のガスと フィックスロープ を 運び上げて その都度、氷河上のBCまで 下ってきて 休息と栄養を取ります。
アルパインスタイルの登山なら そのままテントかついで頂上まで登ってしまうところですけど、我々は極地法登山で臨んでいる為、このように何往復もして、じみちにキャンプをつないで行くわけです。
どこから登ったら、登れるのか 資料はまったくないので 自分らでルート工作しなければならず これはとても冒険心をそそります!
でもこれを誤ると 乗り越えられない 壁とかが立ちはだかれば、一からやり直しになってしまう。。。
林隊長と竹内隊員はこれに全神経を注いでいました。
C−3が6400−6500mに設営できた時点で、頂上へのアタックを21日未明と決め、当日午前2時 満月の月明かりの中頂上へ アタックを開始しました。さすがにクライミングサーダーのアンプーリは強く、ぐいぐいと、上がっていきます。
ところが7000mに届いたか届かぬかの地点で 雪崩が発生し、セラック帯をオーバーフローして、激流のように隊の15m脇を落ちていきました。
怪我はなかったのですが、ルート上には、雪崩れた痕跡がたくさんあって また今にも雪崩れそうな 雪崩の巣が いくつもあり、隊長判断でアタック中止となりました。これは正しい判断だったと思います。
だめとなったら 稼いだ高度に恋々とせず、一気に下る、GOOD LOOSERと言えるでしょうね! 林ー隊長 ヒマラヤ登山15回の経験が 生かされていると思いました! でも ちょっと あっけないない 幕切れかもしれませんね!!
さてと まだまだ お伝えしたいこと あるのでしょうが、きりがないので 中篇は この辺とします。
数日中には、帰国できそうなので また日本で 続きを話させてください。
眠くなったので、帰りますね!
なを後編は 明日メールできると思います。
おやすみなさい!
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